快い死を

東京のお寺に勤めている頃、先輩に誘われて
ダヴィンチ展に行きました。
その際、次ような言葉が目に留まりました。

立派に費やされた一日が
快い眠りを与えてくれるように

立派に費やされた人生は
快い死を与えてくれる

byレオナルドダヴィンチ

これはダヴィンチの手稿に
記されていた言葉だそうです。
おそらく多くの方が、
一日ヘトヘトになるまで働いた日に、
ぐっすりと眠ることが出来た。
という経験をされたことが
あるのではないでしょうか。
「快い死」仏教的には
「後生善処」と言いますが、
これも同じように立派に費やされた人生が
それを与えてくれると、
ダヴィンチは考えていたようです。
では、この「立派に費やされた人生」
とはなんでしょうか。
間もなくお彼岸の季節がやって参ります。 
お彼岸と聞くと今の若い方は
「お墓参りに行く期間」だと思われている方も
多いようですが、本来は仏教徒の為の
「修行するための期間」になります。

本来は毎日修行・精進することを意識して
日々の生活を行わなくてはなりませんが、
私達は忙しい日々の生活を過ごす中で
そのことを忘れがちになってしまっています。 
お彼岸とは、この忘れがちになってしまっている
大切な事を意識し直す期間になります。
この大切な事とは、見返りを求めず、
誰かのために行動することです。
これを仏教では「菩薩行」と言います。
このお彼岸でのお墓参りも、
「ご先祖様のために」という
我々の報恩感謝の「菩薩行」の一環なのです。

大きなことをしなければと
気負う必要はありません。
自分に出来ることは人それぞれ異なります。
道端に落ちているゴミを拾うだけで、
次にその道を通る知らない誰かが、
笑顔でその道を歩くことが
出来るかもしれません。
これも「菩薩行」です。

「立派に費やされた人生」とは、
何かを成し遂げた人生ではなく、
見返りを求めず、
誰かの為にという想いを持って、
日々を過ごすことの出来た人生を
言うのではないでしょうか。
「快い死」はまだ先かもしれませんが、
まずは「快い眠り」の為に
立派に費やされた一日を過ごしましょう。


合掌

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