昨年十一月一日より入行致しました日蓮宗大荒行堂第再行を本年二月十日に無事成満することが出来ました。また同月二十一日には妙法寺の御宝前に於いて帰山奉告式を厳修させていただきました。入行から成満、帰山式に至るまで、総代様をはじめ檀信徒の皆様には激励のお言葉や多大なるご協力を賜り心より厚く御礼を申し上げます。
お陰様にて無事に成満出来ましたことは、仏祖三宝諸天善神の御加護と皆様のお力添えの賜物と確信をしております。なかでも、皆様に申し込んでいただきました壱百日回向・壱百日祈願は毎日、夜勤後に読み上げをさせていただいておりましたが、読み上げをするたびに皆様のお顔を思い出すと、「あと一日頑張ろう。」「あと一日頑張ろう。」と、心が折れそうになる日々の中でとても心の励みとなりました。本当に有難うございました。体調もだんだんと戻って参りましたので、これから少しずつ恩返しをして参る所存です。
法華経の行者の
祈りのかなわぬ事はあるべからず
『祈祷鈔』
これは入行前の大慈大悲でもご紹介した日蓮聖人のお言葉です。修行中は正傳師猊下(修行中の先生)より沢山の教えや修法の極意を教わります。その中でも度々教えて頂いたことは、祈りを叶えるためには「信力」と「念力」が重なり「信念力」となることが大切であると教えていただきました。「信力」とは我々の信じる力、「念力」とは仏様が我々にくださっている沢山の功徳です。
いつもお読みする如来寿量品第十六(お自我偈)の最後にこのようにあります。
毎に自らこの 念 を作す。
何を以てか衆生をして無上道に入り
速かに佛身を成就することを得せしめんと。
このように仏様は毎(常)に我々が成仏するようにと「念」じ、そして様々なご縁を与えてくださっています。つまり仏様からの「念力」は常に我々に降り注がれているのです。しかし、我々が「信力」を持たなければ意味がありません。
例えるならば、ラジオの電波が常に空間にあるようなものです。しかし、アンテナを建てなければ電波を受け取りラジオを聴くことが出来ないのと同じように、どれだけ仏様が我々の事を想って、電波のように手を差し伸べてくださっても、我々が仏様を信じてアンテナを建てなければ仏様の手を掴むことは出来ないのです。
「法華経の行者の祈りのかわわぬ事はあるべからず」とは、我々が法華経・お題目・仏様を信ずる「信力」と、仏様が我々を救いたいと願う「念力」が合わさり、「信念力」となったときに最大の力が発揮され祈りが叶うのです。
仏様からの「念力」は常に降り注がれております。今後も皆様と共に法華経・お題目・仏様を信じ、共にアンテナを建て、仏様からの功徳を享受できるよう、さらなる精進をして参ります。
合掌
